小説「仏教のながれ5」その18

 話しが脇道にそれました。

 法華経には、お釈迦様が五百塵点劫(考えられない程)の昔に菩薩道を修行して仏になられたと説かれていますが、重大なことが説かれていません。それは菩薩道を修行して仏になったという結果だけが説かれていて、その仏になった根本の原因が説かれていないのです。

 お釈迦様は常に仏界の生命のご境涯でおられますが、その上で地獄界や餓鬼界や人界の生命状態でおられ、仏界の生命状態になられたときゼロ・ポイント・フィールドに働きかけ、ホログラムとして立体画像を現出させたものと思われます。

 竜の口の刑場における「光たる物」とは何だったのでしょう。仏法に奇跡などありません。仏法には原因があって結果があるのみです。

 日蓮が鶴岡八幡宮で叱責(しっせき)したのは日蓮自身のゼロ・ポイント・フィールドに働きかけたものと思われます。そうして日蓮が仏界の生命の境涯になり、その上で南無妙法蓮華経と唱えて仏界の生命状態になったときゼロ・ポイント・フィールドに働きかけ、ホログラムとして「光たる物」を現出させたものと思われます。

 日蓮が南無妙法蓮華経と唱えて仏界の生命状態になった根本の原因こそ、日蓮の覚知した南無妙法蓮華経だったのです。日蓮が南無妙法蓮華経と唱えるのは、日蓮自身の中にある南無妙法蓮華経に働きかけることだったのです。だとすると、天台大師が釈した第九識、阿摩羅識、根本浄識、仏識とは、南無妙法蓮華経のことだったのです。

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