短編小説「根源的な愛」

 朝はなかなか起きられない。家人の動く小さな音が聞こえている。途切れ途切れの意識の中、息子が出勤で勢いよくドアを開け、「カチ、カチ」と2つ鍵が外からかけられる音が聞こえた。それでも起きられない。僕は寝付きが悪く寝起きも悪い。
 まだ僕は半覚醒でうつらうつらしている。その時、急にベッドに横たわる身体が心地よい暖かさと安心感に包まれた。遠い昔に同じようなことがあったような記憶がある。身体はジンジンとしびれるような心地よい暖かさと安心感に満たされる。心臓の鼓動にあわせて手の指先と足の指先の血流が脈動しているのを感じる。心地よい暖かさと安心感に包まれている僕はずっとこのままでいたいと思った。しばらくじっとしていると僕を包み込む本体から天の声のように「そろそろですよ」と頭の中に直接やさしく声をかけられた。僕は「いやだ」と拒否をした。それで半覚醒のままうとうとと心地よい暖かさと安心感に浸った。再び「そろそろですよ」という声が響く。もちろん拒否をした。僕はこの居心地の良い空間を手放したくないのだ。そうして僕を包み込む本体は三たび「さあ、勇気を持って飛び出しなさい」と優しく励ました。
 お釈迦さまは「生老病死」という四つの苦しみを説いた。老いる苦しみ、病による苦しみ、死の苦しみはなんとなく理解できたが、僕は生まれる苦しみというのがわからない。
 僕は鬱病になったとき同時に閉所恐怖症にもなって苦しんだ。かつて旅行でドイツのハンブルグに行ったときのことである。ハンブルグは港町で海岸沿いにオランダから花売りがたくさん来ていた。その先の海岸に一隻の潜水艦が係留されている。ソ連海軍のディーゼル式潜水艦である。ソビエト連邦が崩壊した際、ドイツの企業家が買い取ってここで観光客からお金を取って館内を開放している。要するに見世物にしているのだ。僕は命をかけて国防に従事したソ連兵に対して冒涜するもののように思えた。武士道の精神に反すると日本人の僕は思った。とはいうものの好奇心には抗えない。潜水艦の中を見物できる機会などあろうはずがない。お金を払って潜水艦の後部のハッチから中に降りて行った。すぐにディーゼル機関からの重油の臭いが鼻についた。隣室へ行くには直径1mほどのハッチをくぐらなければならない。僕より体の大きいであろうソ連兵は大変だろうなと思った。いくつかのハッチをくぐり抜け船首付近に魚雷が7~8本装備されていた。戦争とは殺すか殺されるかである。その時、じわっと僕の額に冷や汗が滲みでてきた。閉所恐怖症で体が震える前兆である。慌てて外へ出る天井のハッチを探した。危険だ!震え出した体で天井のハッチから外へ飛び出した。そうして青空のもと深呼吸を何回かして気分を落ちつかせた。潜望鏡や司令塔の見学をできなかったのが残念であった。
 僕には閉所恐怖症があるのだ。優しい励ましに促されて僕は勇気を出して産道に飛び込んだ。そこは狭く締め付けられるように苦しかった。その先から急に光を感じた。今まで水の中だったのに空気中に放り出され、僕は必死で息を吸った。続く吐く息で声を出した。「オギャー、オギャー」
 心地よい暖かさと安心感で僕を包んでくれていたのは母だった。あの無条件で包み込む慈しみこそ根源的な愛だと思う。
 半覚醒の夢想空間が遠ざかる。全身を使って大きなあくびをひとつし、僕は完全に夢想空間からベッドに横たわる一人の成人に戻った。

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