小説「仏教のながれ2」その7

 そうして、空海は医術と薬学の書物と薬を買付け、土木技術やその他の学問の書物や道具も買い付けました。もちろん密教の大日経や金剛頂経等二百余巻の経、曼荼羅、加持祈祷する密教法具など財力をふんだんに使って買い漁りました。そのため20年で使う蓄財をたった2年で使い果たし、それらを持って2年で日本に帰ってきました。

 最澄と空海は平安時代最初の遣唐使として一緒でしたが、最澄はエリート僧で空海はその他大勢の中の一介の僧であり船も違っていましたので二人が出会うことはありませんでした。

 日本に帰ってきた空海は20年の滞在義務をたった2年で帰って来たため太宰府に留め置かれました。その後、入京が許され、京都に赴き長安から持ち帰った経文や経典を朝廷に献上したりして深く朝廷に取り入りました。それにより空海は朝廷から東大寺別当に任じられ、さらに9年後、高野山に金堂、大宝塔を建て金剛峯寺を開きました。(続く)

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