小説「仏教のながれ2」その8

 また、最澄が南都六宗との法論で天台教学の緻密な論理で打ち負かせたと伝えられてきました。空海は、ふと、そんな天台教学に興味を持ちました。そこで、空海は同時期に入唐したということで最澄に近付き天台教学関係の経文や天台大師の経典などを借り受け自分で学び始めました。また、最澄の向学心も凄まじく空海の持ち帰った経文や経典を借り受けて学んでいます。

 このとき空海は最澄から借り受けた経文や経典から天台教学がお釈迦様の教えを高低浅深に立てわけ、法華経の一念三千の法門が緻密な論理体系であることをたちまち理解いたしました。それはそれとして、空海はいよいよ東西に歴遊して真言密教の弘教を始めました。

 二人の弟子を伴ってある村に着きました。二人の弟子は、空海より先に村へ入り村の情勢をつかんできました。弟子の報告によると村に流行り病(はやりやまい)の病人が多く出て今まさに困っているとのことでした。そこで空海は病人たちを一箇所に集め、祈祷する準備を弟子たちに命じました。(続く)

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