小説「仏教のながれ4」その5

 法華経では、十界のうち仏界を除く九界の衆生に仏界がそなわり、成仏した仏にも九界の境涯がそなわることが説かれています。

 例えば、お釈迦様は常に仏界の生命の境涯(図では10階)におられ、その上で、地獄界の生命状態であったり、人界の生命状態であったりします。

 例えばあなたは、子供と楽しく遊んでいるとします。この場合、あなたは穏やかな人界の生命の境涯(図では5階)で、楽しいのですから天界の生命状態でしょう。子供がイタズラをします。あなたは怒ります。その場合、人界の生命の境涯(図では5階)で、怒っているのですから修羅界の生命状態になります。あるいは、子供のイタズラに命の危険がある場合、あなたは子供を守ろうとして菩薩界の生命の境涯(図では9階)になり、怒っているのですから修羅界の生命状態でしょう。

 これは縁によって他の生命の境涯、状態が現れることを意味します。すなわち、法華経には、自身の生命の状態は絶えず変化し、生命の境涯、状態をダイナミックに変革することができると説かれています。

 さて、一瞬の心、すなわち一念に三千の世間が具わるというところまできました。かなりややこしくなってきましたが、もう少しお付き合いください。

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