小説「仏教のながれ5」その1

 西暦1253年、末法に入って201年目、日本での鎌倉時代のことになります。

 建長5年4月28日の正午ごろ、安房国(千葉)の清澄寺にある持仏堂の南面で日蓮は「南無妙法蓮華経」と題目を声高らかに三回唱えて立宗宣てらいたしました。同時に当時流行っていた念仏宗の教義を厳しく批判したのです。そこにいた人々は「南無妙法蓮華経」の題目は聞いたことがなく、信じている念仏を批判されたので驚くと共に反発心を起こしました。このことはすぐに鎌倉幕府の地頭(警察権を行使する役人)に通報されます。

 この地の地頭は東条景信で、彼は念仏の強信者でもありました。「なにぃ、日蓮という坊主が念仏を激しく批判しただと。生意気な坊主め。すぐに引っ捕えよ。殺してもかまわぬ」豪胆な鎌倉武士です。そうして日蓮に危害を加えようとする追手が差し向けられました。

 このとき清澄寺の住僧である道善房は、弟子の蓮長(修行時代の日蓮)を逃れさせました。道善房には16歳のときに弟子となり蓮長と名乗ったのがきのうのことのように思い出されます。道善房は、蓮長(日蓮)が激しく念仏宗を批判したことで弟子のこの先のことを憂えました。

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