小説「仏教のながれ5」その17

 ところで、お釈迦様が法華経の中で説かれたことで重要なことがあります。この物語ではそれを書くとややこしくなるのであえて触れないようにしていました。それは法華経の中で、お釈迦様は菩提樹の下で覚ったのではないと説かれました。実は、遠い遠い考えられない程の昔、五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)の昔に菩薩道を修行して仏になられたと説かれたのです。

 法華経はスケールが大きくて、我々が考えられない程の昔ということを「久遠(くおん)」と表現しています。久遠ということであれば、137億年前というのは我々が考えられますから、それよりもっともっと昔ということになります。137億年前というのはビックバンが起こった時刻です。まあ、現代人はビックバン以前は考えられませんから、考えられない程の昔というのはそういうことかと思います。

 さらに、お釈迦様は仏に成られてから無数の国において、生あるものたちを導いて利益を与えてきたと説かれています。仏法でいう「無数」とはこれまた数が無い程の多くという意味です。生あるものたちを導いたということは、天台大師の一念三千の表明で「心がなければそれまでのことであるが、少しでも心があれば、すぐに三千種の世間をそなえる」と釈されているのを思い出してください。「少しでも心があれば」一念三千における仏界の生命がそなわっているので仏は導くことができるのです。このことから、地球のような星は無数にあり、心をそなえた生あるものたちも存在すると解釈できるのではないでしょうか。

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