小説「仏教のながれ5」その19

 仏法には凡夫(ぼんぷ)という表現があります。凡夫とは普通の人のことです。一念三千の法門で学んだとおり、凡夫(普通の人)には本来もともと仏界の生命がそなわっているということです。

 数々の法難と竜の口の法難により、日蓮は宿業や苦悩をかかえた凡夫という仮の姿(迹)をひらいて、凡夫の身のまま、生命にそなわる本源的な慈悲にあふれる仏という本来の境地(本地)を顕(あらわ)されたのです(発迹顕本)。

 末法に入って219年、日蓮は法華経を身(み)で読んで凡夫(普通の人)の姿のまま末法の御本仏であることを示されました。南無妙法蓮華経は、凡夫にもそなわる普遍の法であり、過去世・現在世・未来世という三世をつらぬく永遠の法だったのです。

 これから先、末法の御本仏として「日蓮大聖人」と書かせていただきます。(「仏教のながれ6」に続く)

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