小説「仏教のながれ6」その13

 昭和33年(1958年)4月2日、第2代戸田会長が一切の願業を成就し、58歳で逝去されました。

 昭和35年(1960年)5月3日、創価学会に第3代の池田会長が就任しました。第3代池田会長のもと創価学会の弘教はさらに勢いを増し、日蓮正宗の信徒数は激増していきました。

 平成3年(1991年)11月、日蓮正宗の当時の法主(ほっす)から創価学会に「破門通告書」が送られてきました。この当時の法主は日顕(にっけん)といい、法主には絶対的な権威・権力があるとして僧が上で信徒が下であるという邪義を唱えたのです。創価学会は、法主に絶対的な権威・権力があるということ、僧が上で信徒が下であるということは御書のどこにも書いてないとお伺い書を出し、話し合いを申し込みました。日顕は話し合いに応じず一方的に創価学会を破門したのです。これは急に発生したのではなく日顕の20年に渡る策謀(さくぼう)でありました。

小説「仏教のながれ6」その12

 さて、この原水爆禁止宣言の思想を全世界に広め受け継ぐ思いで、ドイツ語で小説「Die Japanerin Misae」Yoshimi Ekakiya著をアマゾンから出版しました。また、この日本語対訳本も「日本人女性 美紗絵」絵描き屋 Yoshimi著として出版しました。

 ウクライナとロシアの戦争で、プーチン大統領は核兵器の使用をほのめかして脅したと報道されています。結局、21世紀になっても核兵器使用の脅威(きょうい)は消えていません。

 法華経の一節に「衆生見劫尽 大火所焼時 我此土安穏」とあります。漢字が並んでいますが核兵器を当てはめて読みたいと思います。「人類(衆生)が核兵器禁止条約の締約国を増やせず、核拡散防止条約(NPT)再検討会議が決裂し、核兵器先制不使用すら尽くせず、核兵器による大火で所(地球)が焼きつくされると見えるときにも、我が此の土(地球)を仏国土にして安穏にしなさい」とお釈迦様は説かれているものと思います。

小説「仏教のながれ6」その11

[原水爆禁止宣言]

 「天竜も諸君らの熱誠にこたえてか、きのうまでの嵐はあとかたもなく、天気晴朗のこの日を迎え、学会魂を思うぞんぶんに発揮せられた諸君ら、またそれにこたえるこの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。

 さて、きょうの喜ばしさにひきかえて、今後とも難があるかも知らん。あるいは身にいかなる攻撃を受けようかと思うが、諸君らに今後、遺訓(いくん)すべき第一のものを、本日は発表いたします。

 まえまえから申しているように、次の時代は青年によって担われるのである。広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもないことであり、これはぜひともやらんければならんことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。いやしくも私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透(しんとう)させてもらいたいと思うのであります。

 それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。

 なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。

 たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります。

 願わくは、きょうの体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、きょうの訓示(くんじ)にかえるしだいであります」(「原水爆禁止宣言と神奈川 受け継がれる平和の心」潮出版社より転載)