小説「仏教のながれ5」その5

 当時の鎌倉は異常気象や大地震などの天変地異が毎年のようにあり悲惨な状況でした。さらに大飢饉や火災が頻繁に発生し、疫病などが蔓延するなど酸鼻(さんび)を極めていました。そんな騒然とした鎌倉にあって、日蓮への悪口や罵りが続く中、富木常忍、四条金吾(しじょうきんご)、池上宗仲らが入信しています。そのあと、伯耆房日興(ほうきぼうにっこう)が弟子となっています。

 日蓮は人々の苦しむ不幸な姿を目の当たりにして「立正安国論」を著し、文応元年(1260年)7月16日、実質的な最高権力者の北条時頼(ほうじょうときより)に提出しました。

 日蓮は立正安国論で、人々が悪法への帰依をやめ正法を信受するならば平和な楽土が現出するが、悪法への帰依を続けるなら、経文に説かれている種々の災難のうち、まだ起こっていない自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)が起こるであろうと警告し、速やかに正法に帰依するよう諌(いさ)めました。

小説「仏教のながれ5」その4

 また、鎌倉武士の間では禅宗(ぜんしゅう)が流行っていました。

「日蓮という僧が禅宗は天魔(てんま)だと言っていたが…」

「わしもそう聞いた。だが、天魔の意味がようわからぬなあ」

 禅宗では教外別伝(きょうげべつでん)・不立文字(ふりゅうもんじ)としてお釈迦様の経文を全て否定しています。お釈迦様の所説に従わず仏法を破壊(はかい)する天魔の所為であるので、日蓮は禅天魔と批判しています。

 お釈迦様は末法において弘教すべきは法華経であるとみずからお説きになられています。その法華経を各宗は先に批判しているのですから、俗な言い方をすれば売られた喧嘩(けんか)を買ったまでで四箇(しか)の格言(念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊)で反批判するのは当然のことと思います。さらに日蓮はのちに幕府に提出する立正安国論でお釈迦様のさまざまな経文を引用されています。涅槃経には「法華経を弘教する人が、法華経の教えを破戒する者を見て置いて、あやまちを厳しく責めず、相手の罪をあげなければ、その人は仏法の中の仇(かたき)であり、もしよくあやまちを厳しく責め、相手の罪を教えてあげれば、これ我が真の弟子である(筆者の意訳)」とあります。

小説「仏教のながれ5」その3

 ここで言われる生き仏さまとは極楽寺の良観房忍性(りょうかんぼうにんしょう)のことです。良観は癩病(らいびょう)患者や乞食(こじき)を集めて薬や食を施すだけでなく、癩病などの病人や孤児を収容する施設を建設して彼らを受け入れました。さらに、このような収容施設、井戸や橋を造るなどの社会事業にも幕府との共同事業として利権を持って巨利を得ています。それは極楽寺の壮大な建物群を見れば一目瞭然のことで見事なものでございます。現代でも建設会社が国の公共事業を独占的に請け負って莫大な利益を得ているのは承知の通りです。なんだか、東京五輪・パラリンピックをめぐる汚職事件の利権構造とも似てますね。

 そのほか、良観は病気平癒(びょうきへいゆ)などの祈祷(きとう)で幕府の要人に取り入っています。そうすると良観は祈祷が得意そうですのでそのうち見せてもらいましょう。

 良観は真言律宗(しんごんりつしゅう)ですが、真言というとデジャブ感のある空海が思い出されます。真言は、お釈迦様が説かれた法華経を戯論(無意味な論)だとしてお釈迦様の教えをないがしろ(亡失)にし、大日如来という架空の仏を立てるので、日蓮は真言亡国と批判しました。また、律宗は、小乗経で既に最澄によって論破され、国にとって役に立たずかえって賊(ぞく)のようなものなので、日蓮は律国賊(りつこくぞく)と批判しています。