小説「仏教のながれ2」その14

 若い僧は学んだばかりの一念三千についてこのように言われ返答に窮して黙ってしまった。彼は大日経を学んでいなかったのである。

 空海は内心ほくそ笑んだ。天台大師の一念三千の法門はかねて最澄から借りた経典で読み知っていたからである。こうして空海の有り余る才能は暴走しはじめ、巧みに一念三千の法門を盗み自宗の教義に取り込んだのでございます。しかも、空海は自身が書きあらわした十住心論で堂々とこの盗んだ法門を展開いたしました。

 恐るべき才能の持ち主というべきではありますが、法を盗むということはお釈迦様の教えにそむくことになるのでございます。このことをお釈迦様はどのように観ておられたことでありましょう。多少の才能があろうとも、所詮、お釈迦様の手のひらの内のことでございます。

 空海の晩年は、得意の医術も薬学の知識も役に立たず病に苦しみ、「悪瘡体に起って吉相根せず」と朝廷への手紙に書いています。すなわち、体中にたちの悪いはれものができて良くならないと嘆いています。法を盗んだ者とはこのようなものでございましょう。(続く)

小説「仏教のながれ2」その13

 そうした歴遊の中、久しぶりに空海は京都を目指しました。空海が琵琶湖のほとり大津において一般聴衆の前で真言密教の説法をしていた時のことでございます。通りかかった若い僧が空海に法論を挑んできました。日本天台宗の最澄がいる比叡山はこの近くにありますので、この僧はここの学僧でありましょう。

「空海上人殿、天台大師によって法華経における一念三千という法門が説かれています。大日経はいかがなものでありましょう」

 この時、空海は「天台宗の若僧め」と思いつつ次のように言い放ったのでございます。

「貴僧の言われることはもっともである。しかしながら、一念三千は大日経の法門であり天台大師はこれを盗んだのである。従って第1が大日経であり、第2が華厳経であり、第3に法華経である。貴僧は一念三千の法門を学んだようであるが良く学びなおされるがよい」(続く)

小説「仏教のながれ2」その12

 雨乞いの祈祷などは簡単なものでございます。事前に雲の変化を掴んでいるのですから、この日に雨が降らなければ、次の日もと3日も続けていれば雨など降るのでございます。ここは日本で砂漠ではありません。

 ただ、こんなこともありました。日照りが続く村へ入るときのことでございます。空海が観測していると朝に典型的な朝焼け空になりました。直ちに空海は弟子たちを伴って目指す村へ歩みを進めました。空海と弟子たちが村へ入った頃には雨が土砂降りとなっていました。農民たちの歓喜の声が聞こえてきます。空海と弟子たちは農民たちの歓喜の声を聞き流して何事もなかったようにその村を通り過ぎて行ったのでございます。

 さらに、空海は土木技術も学んでおりましたので、香川県にある満濃池の堤防を作った修築工事にも関わりました。さらに土木技術から山裾の地形を読み解き、空海が杖をつくと泉が湧き井戸や池となったという伝説も残しました。さらに各地に温泉を発見したことも土木技術から派生した知見であります。空海の多彩な才能は全て真言密教の布教と結びついて各地に伝説として残されました。空海伝説は、空海の死後、朝廷から賜った弘法大師の称号により弘法伝説として残されています。(続く)