小説「仏教のながれ3」その2

 意識は、法境(記憶、思考などの内的な対象)に縁して物事を判断し、推量する心の働き、及びその結果生じた識です。小乗教ではこの意識を心の働きの本体と捉えるので、意識にある煩悩を断じ尽くす究極は灰身滅智につながったものと思われます。

 第七識→末那識は思量と漢訳され、思い量るという意味です。この識は意識の奥で絶えず活動しつづけ、強く深く自我に執着する心の作用をいいます。心理学でいう無意識というところでありましょう。

 第八識→阿頼耶識は前の末那識の根底・基盤となる深層の心をいいます。

 第九識→天台教学では第八識の奥底に究極的実在として根本浄識を立てて阿摩羅識としています。

 ここまで一気に九識を説明させていただきましたが、第八識と第九識は何のことか理解出来なかったことと思います。

 まず、第八識を説明いたします。ここで、田坂広志著「運気を磨く」光文社新書を参考にして書き進めて参りたいと思います。

小説「仏教のながれ3」その1

 ここでは、これから仏法をダイナミックに展開する前に、まず仏法の基本的な法理である「九識」について予備知識として紹介させていただきます。一般に我々は物事を識別するのに六識があります。この六識の中に「意識」という心の世界があります。仏法では心の世界にさらに第七識、第八識、第九識があることを示しています。

第六識まで→眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識

第七識→末那識(まなしき)

第八識→阿頼耶識(あらやしき)

第九識→阿摩羅識(あまらしき)

 眼識とは、色境を縁として物の区別・異同を分別する識のことで、要は眼で見て分別する心の作用を意味します。耳識は声境に縁したとき声を分別する識、鼻識は香境に縁したとき香を分別する識、舌識は味境に縁したとき味を分別する識、身識は触境に縁したとき触って分別する識です。ここまでは当たり前のことですね。

独り言「夕暮れ」

 夕暮れはちょっぴり寂しい気分になる。西の空、夕焼けで雲が鮮やか赤い色。小川の遊歩道、夕焼けがあまりに綺麗で座り込む。赤い色、上の方から少しずつ褪せてくる。西ドイツ、留学したときを思い出す。夏の季節は10時過ぎまで空が明るい。辺りが薄暗くなってきた。ツクツクボウシが早く帰れと鳴いている。

 西の空、まだ、少し赤みがかってる。真上の空、青に絵の具の黒が増している。浮き上がってきたのがそこ此処の街路灯。気がつけば蝉が鳴き止み、虫の音がリーン。時計は午後7時。ドイツはちょうど昼の12時。ホストファミリー、どうしているかなあ。太陽が西に沈むように見えるけど、地球が自転をしてるんだよね。不思議だなあ。