読書「運気を磨く」

 田坂広志氏の著作です。「仏教のながれ2」を書いている時に偶然読みました。著者の体験と思索から書かれたもので凄い内容だと思いました。著者をリスペクトすると共に是非読まれることをお薦めいたします。

 「仏教のながれ2」は昨日で終わりで続きを書く気はありませんでした。しかし、この本に書いてあるシンクロニシティ(不思議な偶然の一致)かもしれませんが、この本に背中を押される感じで、この本を引用しつつ「仏教のながれ3」を書きたくなりました。

 私は若い頃の屈辱感と劣等感をバネにして生きてきたと思っています。この本を読んで、その私の人生を全て肯定していただいたような気になりました。振り返ればおもしろい人生を生きてきたなと思うこのごろです。あともう少しの間、おもしろい人生にしたいと思っています。小説を書くのもおしろいことの一つです。

小説「仏教のながれ2」その25

 最後に菩薩とは、人々の中において、自身を軽んじて他人を重んじ、苦しみは自分が引き受け、楽しみは他人に与えようと思う者のことで、仏に等しい慈悲と勇気の振る舞いをする者のことであります。もともと地涌の菩薩ですから、例えば、すでに医師や看護師となって病に苦しむ人々を救っているかもしれません。

 そうすると、もしかしたら…、あなたは地涌の菩薩ではありませんか?(終わり)

[この物語はフィクションであることをご了解いただきたくお願い申し上げます]

参考文献:天台宗のホームページ、ウィキペディア「空海」、ウィキペディア「観天望気」、仏法入門 聖教新聞社、妙法蓮華経並開結(上)(下) 聖教文庫、新版仏教哲学大辞典  聖教新聞社

小説「仏教のながれ2」その24

 さらにもう少し推測をさせていただきます。21世紀になってロシアがウクライナに侵攻し戦争が続いています。人間は性懲りもなくいまだに戦争をしています。今年は西暦2022年ですので末法に入って970年が過ぎました。

 お釈迦様は末法の弘教を地涌の菩薩たちに託されました。地涌の菩薩は三十二相を具えた金色の菩薩ではありますが「願兼於業(がんけんおごう)」であります。無数の地涌の菩薩は、あえて末法の世に、貧乏人として生まれ、病人として苦しみの姿を見せ、戦争の苦しみ、疫病の苦しみ、あらゆる悪業の姿を見せ、そこから立ち上がり仏法の正しさ、素晴らしさを証明していることでありましょう。

 それも全世界ですから、日本はもとより、朝鮮半島、かつて仏教の興隆した唐の地域、仏教発祥のインド地域、中央アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、オセアニア等、もちろんロシアやウクライナにもすでに地涌の菩薩がおられることでありましょう。(続く)