小説「仏教のながれ2」その23

 妙法蓮華経如来神力品第二十一において、お釈迦様は上行等の四菩薩を上首とする地涌の菩薩に末法の弘通を託されました。それでは、地涌の菩薩はどこで弘通するのでしょうか。

 妙法蓮華経勧発品第二十八において、お釈迦様は「如来の滅後に於いて、閻浮提の内に広く流布せしめて、断絶せざらしめん」と説かれました。「閻浮提(えんぶだい)」とは古代インドの世界観で、全世界のことをいいます。

 さて、西暦1052年に末法に入りますことは既に書きました。これは日本では平安時代の末期、鎌倉時代の直前にあたります。お釈迦様の白法が隠れ没する末法まできましたので、この物語は終わりにしたいと思います。

 なぜなら、この物語はお釈迦様の経文に基づく、いわゆる文上で展開したものでございます。それゆえ、末法においては、お釈迦様の白法が隠れ没して大転換をもたらす、いわば大白法の出現が推測されるわけでございます。(続く)

小説「仏教のながれ2」その22

 それでは、お釈迦様が8年もの歳月をかけてお説きになられた法華経には、お釈迦様の白法が隠れ没した滅度の後についてどのように説かれているのでありましょう。

 妙法蓮華経法師品第十において、お釈迦様は「是の人は、自ら清浄の業報を捨てて我が滅度の後に於いて、衆生をあわれむが故に悪世に生まれて広くこの経を演(の)ぶるなり」と説かれました。ここのところを天台教学を宣揚した妙楽大師は釈して「願兼於業(がんけんおごう)」としています。

 すなわち、修行の功徳によって安住の境界に生まれるべきところを、苦悩に沈んでいる一切衆生を哀れむがゆえに自ら願って悪業をつくり、悪世に生まれて、民衆の苦悩を一身に引き受けて仏法を弘通するのです。では「是の人」とはどの人のことでありましょう。

 妙法蓮華経従地湧出品第十五において、お釈迦様が滅後の弘通を勧められた呼び掛けに応じ、大地の底から湧き出てきたのが無数の三十二相を具(そな)えた金色の菩薩でした。この菩薩たちは地より涌き出たので地涌の菩薩といわれます。(続く)

小説「仏教のながれ2」その21

 この無問自説は、単に方便品のみではなく、妙法蓮華経二十八品全体にかかるのでございます。妙法蓮華経(法華経)が人々の質問や招請に応じて説かれた「随他意(ずいたい)」の経ではなく、お釈迦様が自らの意志で説いた「隋自意(ずいじい)」の経であることが示されています。

 日本天台宗の最澄は、お釈迦様の教えを隋他意と隋自意とに立て分けて教えの勝劣を判じています。繰り返しになりますが、隋他意の教えとは、お釈迦様が真実の覚りに導くために衆生の機根や好みに従って法を説く教え、すなわち方便の教えということになります。隋自意の教えとは、お釈迦様自身の内面の覚りをそのまま説いた教えということになります。

 もうおわかりのことと思いますが、お釈迦様の隋自意の教えとは法華経であり、隋他意の教えとは法華経以外の教えであります。お釈迦様は法華経を説かれる直前、無量義経を説かれて「四十余年。未顕真実」、すなわち成道してから四十余年いまだ真実をあらわしていないとされ、その直後、お釈迦様自身の内面の覚りをそのまま法華経として8年の歳月を費やして説かれたのでございます。(続く)