読書「食のパラドックス」

 著者は医学博士スティーブン・R・ガンドリーで、訳者が医学博士の白澤卓二氏です。こういう健康になるための本をたくさん読んでいますが、この本はあれを食べれば健康になれるというような内容ではなく、博士のユニークな食べ物に対する見方をしていましたのでおもしろいなあと思った次第です。

 一つは、玄米より白米のほうが人間の英知として体に良いと主張しています。私は妙に納得してしまいました。私は玄米を食べようと何回もチャレンジしましたが体調が悪くなるのでやめました。そんな私の体験から健康のための食事は100人が100人違っていていいと思うのです。自分の体は、自分が自分の体の声をきいて自分の食べ物を選択し、自分の責任で自分の健康を保つものだと思うのです。

 二つ目は、野菜や果物などの植物は人間などの動物に食べられるために存在しているのではない。植物はレクチンなどで動物に抵抗していると博士は主張しています。この論理でいくと動物を殺して食べるのを避ける菜食主義やビーガンは困ってしまいますね。植物は食べられて当然という論理が透けて見えますから(笑)。日本人であるからか、私は博士の主張を当たり前と思っています。

 なぜ日本人だと当たり前のことかというと、日本人は食べ物の植物や動物、その食べ物を作ってくれる農家、その食べ物を育てる大地と太陽、魚を育む海、海から魚を取ってくる漁師、その食べ物を運んでくれる人、その食べ物を料理する人、そうして係わってきた全てに感謝の祈りを込めて「いただきます」と言って食べています。そこには食べて当然、食べられて当然という思いが微塵もないからです。

短編小説「明治生まれの叔母2」

 叔母が実家にいたときのことである。実家は東京から南西120kmの田舎にある。昭和から平成に年号が代わったばかりのころだった思う。叔母は近所に新しい小学校が出来たと言った。聞けば実家から歩いて5分ぐらいのところにある。叔母が1〜2年ほど通った小学校は歩いて40分はかかる遠いところにあった。この小学校が開校する前、近所の人を集めて見学会が開催されたので叔母は見に行ってきたと話した。好奇心の強い人である。
 叔母はそのあと「この間、強い地震があったでしょ」と言う。私は思い出そうと頭をめぐらせたが見当がつかない。「わたしが川で洗濯をしてたら急に川が盛り上がって洗濯物をみんな流されてしまったのよ」と言う。さも驚いた風であった。

 阪神・淡路大震災は平成7年1月17日であるし、東日本大震災は平成23年3月11日である。平成元年の頃は、私も、おおかたの日本人も地震に対する恐怖心など薄れていた。天災は忘れた頃にやってくるとは言い得て妙である。
 叔母の話しはまだ続いていて「本所」と言う地名が耳に飛び込んで来た。これでピンときた。関東大震災のことである。関東大震災は大正12年9月1日である。叔母の「この間」は66年前のことであった。大正12年のころの叔母は東京の本所というところに住んでいたようである。たまたま実家に帰っていて本所で被災することをまぬがれた。地震にあって陸軍本所被服廠跡地に避難した人々が火災旋風に巻き込まれたというのは本当に悲惨であった。
 人の一生は不思議なものである。この天災を偶然にも回避した叔母は90歳を越えて長生きしたのである。

短編小説「明治生まれの叔母」

 叔母は貧しい家の兄弟姉妹10人の長女であった。小学校に入って間もなくお金持ちの家の子守りをさせられた。それで学校へ行かせてもらえなかったので平仮名しか読めない。それは当たり前の時代であった。兄弟の四男は口減らしのため養子に出された。それも普通のことである。私の母は9番目の五女で大正生まれ、末っ子の五男が辛うじて昭和生まれであった。
 さて、そういう私は戦後の昭和生まれということになる。叔母は好奇心の強い人で振り仮名のある新聞や本をよく読んでいた。そうであるので話し好きで話題も多く、私を飽きさせないし、いろいろなことを私にきいてくる。あるとき叔母は不意に、亡くなった夫のことを話しだした。夫は胃を患い高い医療費を払ったが結局亡くなったとのことである。叔母の観察眼は鋭く「今にして思えば『胃癌』だったと思うわ。それで蓄えはすっかり無くなり、夫の死後大変だったのよ」とさらりと言った。子供のころから自分の境涯を嘆くこともなく全てを受け入れてきた芯の強さが感じられた。そして叔母は生前の夫に「チンムルイの顔」と言われたんだけど意味わかると私にきいてきた。叔母の耳学問の限界かも知れない。しかしながら私にも何のことかわからなかった。
 そんな叔母は長生きをして平成12年12月31日の夜に亡くなった。明治、大正、昭和、平成と生きたわけである。平成12年は西暦2000年で20世紀最後の年。叔母は21世紀の直前まで生きたことになる。
 それから数年が経って私は何かの本を読んでいて発見した。
「珍無類」
 このことだ。しかし、ほめ言葉とはどうみても思えない。これは知らなくて良かったようです。叔母の顔を思い浮かべてニヤリと笑った。