小説「仏教のながれ6」その10

 評論家も意図的に、例えばオウム真理教の事件が起きたときは「オウム真理教のようであるならば、創価学会の存在を許してはならない」などと悪意の中傷をしていました。「何々ならば、何々である」と最初から「仮に何々ならば」という逃げを打った卑劣で卑怯な論理を展開しています。最近では「旧T教会と同じ集金システムならば、創価学会も許してはならない。課税すべきだ」などと悪意の逃げシステムで中傷しています。

 創価学会員が弘教したとき、水をかけられたり、塩をまかれたり、「二度とくるな」と言われたり、まさに法華経に説かれている通り悪口を言われ罵倒されます。それでも笑って耐え忍んでいます。

 昭和32年(1957年)9月8日、創価学会第2代戸田会長は「原水爆禁止宣言」を発表しました。これが創価学会の平和運動の基調となります。少し長くなりますが全文を明日投稿します。

小説「仏教のながれ6」その9

 この結果、軍部政府は日蓮正宗ではなく創価教育学会をターゲットにし、同年7月6日に牧口会長は伊豆の下田で、戸田理事長は東京で特高刑事に連行逮捕されました。容疑は不敬罪(ふけいざい)と治安維持法違反(ちあんいじほういはん)です。残された家族は非国民として近所から白い目で見られました。創価教育学会はこうして幹部が逮捕されたことで壊滅状態となりました。

 ご高齢の牧口会長(73歳)は、翌年、東京拘置所内でご逝去されました。

 戸田理事長は、獄中生活を耐え抜いて昭和20年7月3日に出獄され、理事長として学会の再建に着手されました。このとき、会の名称を「創価学会」にあらためました。

 敗戦後の日本は、荒廃の中、新興宗教が乱立しました。それだけ民衆は苦しみに打ちひしがれていたのでしょう。

 創価学会が、テレビ、新聞、雑誌で取り上げられる場合は意図的に悪意をもって戦後の新興宗教の一つとして取り上げられます。どうしても新興宗教と言いたいのであれば、鎌倉時代(13世紀)の新興宗教とされてはいかがかと思います。

小説「仏教のながれ6」その8

 立宗(1253年)から675年が過ぎ700年が直前のころのことです。

 昭和3年(1928年)、日蓮大聖人の仏法を継承した日興上人の流れをくむ日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)に入信した師弟がいました。牧口常三郎と戸田城外です。

 昭和5年(1930年)、創価教育学会が牧口会長と戸田理事長とで日蓮正宗の在家団体として創立されました。

 昭和16年(1941年)、大東亜戦争が始まって軍部政府は戦争遂行(すいこう)のため国家神道による思想統制から神札(かみふだ)を国民に強要してきました。

 昭和18年(1943年)6月、日蓮正宗の法主から創価教育学会も神札を受け取るようにしてはどうかと言われました。この日蓮正宗の態度は軍部政府からの権力の弾圧を恐れたもので、謗法(法華経をそしる)容認の行為であります。これは明らかに日蓮大聖人、日興上人の教えに背(そむ)くものです。これに対して牧口会長、戸田理事長は神札の受け取りを断固として拒否しました。