小説「仏教のながれ5」その17

 ところで、お釈迦様が法華経の中で説かれたことで重要なことがあります。この物語ではそれを書くとややこしくなるのであえて触れないようにしていました。それは法華経の中で、お釈迦様は菩提樹の下で覚ったのではないと説かれました。実は、遠い遠い考えられない程の昔、五百塵点劫(ごひゃくじんてんごう)の昔に菩薩道を修行して仏になられたと説かれたのです。

 法華経はスケールが大きくて、我々が考えられない程の昔ということを「久遠(くおん)」と表現しています。久遠ということであれば、137億年前というのは我々が考えられますから、それよりもっともっと昔ということになります。137億年前というのはビックバンが起こった時刻です。まあ、現代人はビックバン以前は考えられませんから、考えられない程の昔というのはそういうことかと思います。

 さらに、お釈迦様は仏に成られてから無数の国において、生あるものたちを導いて利益を与えてきたと説かれています。仏法でいう「無数」とはこれまた数が無い程の多くという意味です。生あるものたちを導いたということは、天台大師の一念三千の表明で「心がなければそれまでのことであるが、少しでも心があれば、すぐに三千種の世間をそなえる」と釈されているのを思い出してください。「少しでも心があれば」一念三千における仏界の生命がそなわっているので仏は導くことができるのです。このことから、地球のような星は無数にあり、心をそなえた生あるものたちも存在すると解釈できるのではないでしょうか。

小説「仏教のながれ5」その16

 日蓮は立宗宣言してから、東条景信に危害を加えられそうになり、鎌倉の松葉ヶ谷では草庵を襲われた(松葉ヶ谷の法難)。翌年、鎌倉に戻ったところで捕らえられ、伊豆へと流罪されました(伊豆流罪)。安房国の門下の所へ向かう途中、白昼堂々と東条景信に襲撃され、額(ひたい)に傷を負い、左手を骨折されました(小松原の法難)。そして竜の口の刑場で頸(くび)を切られそうになりました(竜の口の法難)。その後、今度は佐渡へ流罪されます(佐渡流罪)。

 お釈迦様は末法で法華経を弘教するものは、刀で切られたり、杖で打たれたり、しばしば追放・流罪されたりすると説かれました。日蓮はその上、頸を切られようとしたのです。この法難も勝ち越えました。末法に入って219年目の出来事であります。

 今年は2022年なので末法に入って970年、日蓮を除いて法華経の行者として、これ程の法難を受けて法華経を身(み)で読んだかたがいたでしょうか。思い当たりません。

小説「仏教のながれ5」その15

 こうして一行は竜の口の刑場に到着した。時刻は丑の刻(午前二時)を過ぎていた。刑場にはかがり火が見え、取り巻くように人馬も確認できた。

「ただいまでござります」金吾はあふれる涙でのどを詰まらせながら申し上げた。馬上から日蓮が言葉をかけられた。

「不覚(ふかく)の殿ばらかな。これほどの悦(よろこ)びをば笑えかし。いかに約束をばたがえらるるぞ」日蓮は金吾に笑って見送るようにと約束していた。

 日蓮はひらりと馬から降り、かがり火の方に向かって歩き、侍たちの真ん中の砂地に正座した。日蓮は数珠を取り出し、朗々とした声で南無妙法蓮華経と題目を三唱し、一転して静かな落ち着いた声で題目を続けた。

 処刑人の男が、太刀を抜き、桶の水を刀に垂らした。やや離れて日興と弟子たちも日蓮の題目に唱和していった。

 その時、突然、江ノ島の方角から月のように光りたる物、まりのようにて、辰巳(南東)のかたより戌亥(北西)のかたへ光りわたった。太刀を持った男は目がくらんで倒れ伏し、兵どもはおじ恐れて遠ざかった。馬上の侍は馬から降りてかしこまる者、あるいは馬の上でうずくまったままの者もいた。何事が起こったのか。侍たちは動転してなすすべもない。 

「いかに殿ばら、かかる大罪人より遠のくとは何事ぞ。近くに打ちよれや、打ちよれや」日蓮の大音声が響いた。応じる者はもう誰もいない。こうして刑の執行は不可能となった。

 このあと日蓮は本間六郎左衛門のところへ護送されて行きます。この道すがら空には月が顔を出し煌々(こうこう)とあたりを照らしていました。その後、日蓮は佐渡へと流罪されます。