小説「仏教のながれ2」その21

 この無問自説は、単に方便品のみではなく、妙法蓮華経二十八品全体にかかるのでございます。妙法蓮華経(法華経)が人々の質問や招請に応じて説かれた「随他意(ずいたい)」の経ではなく、お釈迦様が自らの意志で説いた「隋自意(ずいじい)」の経であることが示されています。

 日本天台宗の最澄は、お釈迦様の教えを隋他意と隋自意とに立て分けて教えの勝劣を判じています。繰り返しになりますが、隋他意の教えとは、お釈迦様が真実の覚りに導くために衆生の機根や好みに従って法を説く教え、すなわち方便の教えということになります。隋自意の教えとは、お釈迦様自身の内面の覚りをそのまま説いた教えということになります。

 もうおわかりのことと思いますが、お釈迦様の隋自意の教えとは法華経であり、隋他意の教えとは法華経以外の教えであります。お釈迦様は法華経を説かれる直前、無量義経を説かれて「四十余年。未顕真実」、すなわち成道してから四十余年いまだ真実をあらわしていないとされ、その直後、お釈迦様自身の内面の覚りをそのまま法華経として8年の歳月を費やして説かれたのでございます。(続く)

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