小説「仏教のながれ5」その3

 ここで言われる生き仏さまとは極楽寺の良観房忍性(りょうかんぼうにんしょう)のことです。良観は癩病(らいびょう)患者や乞食(こじき)を集めて薬や食を施すだけでなく、癩病などの病人や孤児を収容する施設を建設して彼らを受け入れました。さらに、このような収容施設、井戸や橋を造るなどの社会事業にも幕府との共同事業として利権を持って巨利を得ています。それは極楽寺の壮大な建物群を見れば一目瞭然のことで見事なものでございます。現代でも建設会社が国の公共事業を独占的に請け負って莫大な利益を得ているのは承知の通りです。なんだか、東京五輪・パラリンピックをめぐる汚職事件の利権構造とも似てますね。

 そのほか、良観は病気平癒(びょうきへいゆ)などの祈祷(きとう)で幕府の要人に取り入っています。そうすると良観は祈祷が得意そうですのでそのうち見せてもらいましょう。

 良観は真言律宗(しんごんりつしゅう)ですが、真言というとデジャブ感のある空海が思い出されます。真言は、お釈迦様が説かれた法華経を戯論(無意味な論)だとしてお釈迦様の教えをないがしろ(亡失)にし、大日如来という架空の仏を立てるので、日蓮は真言亡国と批判しました。また、律宗は、小乗経で既に最澄によって論破され、国にとって役に立たずかえって賊(ぞく)のようなものなので、日蓮は律国賊(りつこくぞく)と批判しています。

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