小説「仏教のながれ5」その5

 当時の鎌倉は異常気象や大地震などの天変地異が毎年のようにあり悲惨な状況でした。さらに大飢饉や火災が頻繁に発生し、疫病などが蔓延するなど酸鼻(さんび)を極めていました。そんな騒然とした鎌倉にあって、日蓮への悪口や罵りが続く中、富木常忍、四条金吾(しじょうきんご)、池上宗仲らが入信しています。そのあと、伯耆房日興(ほうきぼうにっこう)が弟子となっています。

 日蓮は人々の苦しむ不幸な姿を目の当たりにして「立正安国論」を著し、文応元年(1260年)7月16日、実質的な最高権力者の北条時頼(ほうじょうときより)に提出しました。

 日蓮は立正安国論で、人々が悪法への帰依をやめ正法を信受するならば平和な楽土が現出するが、悪法への帰依を続けるなら、経文に説かれている種々の災難のうち、まだ起こっていない自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)が起こるであろうと警告し、速やかに正法に帰依するよう諌(いさ)めました。

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