小説「仏教のながれ5」その6

 これを受けて幕府の要人が集まって寄合(よりあい)がなされた。

 北条時頼がまず言い放った。

「日蓮ごときが政(まつりごと)に口を出すとは…、どうしてくれようぞ」

「即刻、首を刎(は)ねればいいではないか」

「それはちとまずい。御成敗式目(ごせいばいしきもく)に照らし、謀反を起こしたのでもなく、殺害をしたのでもなく、悪口したわけでもない」

「悪口を言われるほうが日蓮だからな」一同のなかで軽蔑の意味を含んだ軽い笑いが漏れた。

「なに、われらが手をくだすこともあるまい。鎌倉中の念仏者どもが日蓮を亡き者にしようと狙っておる」

「では、われらは日蓮のことは捨ておき、念仏者たちにまかせるということだな」

「それがいい。日蓮がどうなろうとわれらは知らぬこと」

「は、は、は…」

 こうして幕府要人の方針が決められ、日蓮の民を思う諫暁(かんぎょう)は無視された。それから数日後、深夜、日蓮を亡き者にしようと念仏者たちが松葉ケ谷の草庵を襲います(松葉ケ谷の法難)。このときも日蓮はからくも難を逃れ、鎌倉を離れて下総国の富木常忍のもとに身を寄せました。

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