小説「仏教のながれ5」その13

「和気清丸(わけのきよまろ)が頸(くび)を刎ねられんとせし時は、長一丈の月と顕れさせ給い、………。今、日蓮は日本第一の法華経の行者なり。その上、身に一分のあやまちなし。………。日蓮、今夜頸切られて霊山浄土(りょうぜんじょうど)へまいりてあらん時は、まず『天照大神・正八幡(しょうはちまん)こそ起請(きしょう)を用いぬ神にて候いけれ』とさしきりて、教主釈尊に申し上げ候わんずるぞ。痛しと思わば、急ぎ急ぎ御計いあるべし」

 ここで正八幡とは八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)のことで、起請とは約束ということです。ここでの意味は法華経の行者を守護するという約束を実行せよと天照大神・八幡大菩薩を強く叱りつけているのです。

 こうして日蓮は再び馬に乗り、一行は竜の口の刑場へ向かって歩き出した。

 由比の浜へ出た所で日蓮が再び口を開いた。

「しばし、殿ばら。これに告(つ)ぐべき人あり」と一行に休憩を申し入れ、少年の熊王に呼びに行かせた。

 まるで日蓮はこの移送を楽しんでいるかのようであり、自由というか奔放に振る舞われています。反対に役人たちの方があたかも罪人のように日蓮に言われるがままになっていました。

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