こうして一行は竜の口の刑場に到着した。時刻は丑の刻(午前二時)を過ぎていた。刑場にはかがり火が見え、取り巻くように人馬も確認できた。
「ただいまでござります」金吾はあふれる涙でのどを詰まらせながら申し上げた。馬上から日蓮が言葉をかけられた。
「不覚(ふかく)の殿ばらかな。これほどの悦(よろこ)びをば笑えかし。いかに約束をばたがえらるるぞ」日蓮は金吾に笑って見送るようにと約束していた。
日蓮はひらりと馬から降り、かがり火の方に向かって歩き、侍たちの真ん中の砂地に正座した。日蓮は数珠を取り出し、朗々とした声で南無妙法蓮華経と題目を三唱し、一転して静かな落ち着いた声で題目を続けた。
処刑人の男が、太刀を抜き、桶の水を刀に垂らした。やや離れて日興と弟子たちも日蓮の題目に唱和していった。
その時、突然、江ノ島の方角から月のように光りたる物、まりのようにて、辰巳(南東)のかたより戌亥(北西)のかたへ光りわたった。太刀を持った男は目がくらんで倒れ伏し、兵どもはおじ恐れて遠ざかった。馬上の侍は馬から降りてかしこまる者、あるいは馬の上でうずくまったままの者もいた。何事が起こったのか。侍たちは動転してなすすべもない。
「いかに殿ばら、かかる大罪人より遠のくとは何事ぞ。近くに打ちよれや、打ちよれや」日蓮の大音声が響いた。応じる者はもう誰もいない。こうして刑の執行は不可能となった。
このあと日蓮は本間六郎左衛門のところへ護送されて行きます。この道すがら空には月が顔を出し煌々(こうこう)とあたりを照らしていました。その後、日蓮は佐渡へと流罪されます。