小説「仏教のながれ6」その2

 文永11年(1274年)2月、大聖人は佐渡流罪を赦免され、3月に佐渡から鎌倉へ帰られました。

 同年4月、日蓮大聖人は平左衛門尉と再度対面して諫(いさ)めましたが用いられず、結局、三度諫めても用いられなかったので、大聖人は鎌倉を離れ甲斐国の身延山(みのぶさん)に入られました。ここで、日蓮大聖人は、多くの執筆や仏法の重要な法門を説かれました。さらに法華経の講義などを通して弟子の育成が行われました。

 こうした中、弟子の日興上人は駿河国の富士方面で弘教に励んでいます。ここには天台宗の滝泉寺(りゅうせんじ)がありました。この寺の僧や信徒が続々と日蓮大聖人の仏法を信仰するようになっています。

 この時代、信仰の自由がありました。後世の徳川時代に寺院の檀家制度を設け、人々を監視するため寺院に登録させてしばりつけたのです。先祖代々の宗教というのは、たまたま住んでいた地域にあった寺院に登録し「この寺院に属する者でよそから来た怪(あや)しい者ではありません」というだけのことです。

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