小説「仏教のながれ6」その11

[原水爆禁止宣言]

 「天竜も諸君らの熱誠にこたえてか、きのうまでの嵐はあとかたもなく、天気晴朗のこの日を迎え、学会魂を思うぞんぶんに発揮せられた諸君ら、またそれにこたえるこの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。

 さて、きょうの喜ばしさにひきかえて、今後とも難があるかも知らん。あるいは身にいかなる攻撃を受けようかと思うが、諸君らに今後、遺訓(いくん)すべき第一のものを、本日は発表いたします。

 まえまえから申しているように、次の時代は青年によって担われるのである。広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもないことであり、これはぜひともやらんければならんことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。いやしくも私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透(しんとう)させてもらいたいと思うのであります。

 それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。

 なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。

 たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります。

 願わくは、きょうの体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、きょうの訓示(くんじ)にかえるしだいであります」(「原水爆禁止宣言と神奈川 受け継がれる平和の心」潮出版社より転載)

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