小説「仏教のながれ6」その14

 日興上人は、後世のために「日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきぶみ)」を残されています。それには「時の貫首(かんず)たりといえども、仏法に相違して己義を構えば、これを用うべからざること」とされ、貫首すなわち法主が誤りを犯すことを想定されていました。話し合いや法論を避けるのは、都合が悪くなるからでしょう。時代が変わっても構図は同じです。

 破門だなんて時代錯誤もはなはだしい幼稚な発想です。だが、これによって法主が書写した御本尊を創価学会員は受けられなくなりました。卑劣な仕打ちです。

 しかし、創価学会は平成5年(1993年)に日寛(にちかん)上人書写の御本尊を全世界の会員に授与していくことを決定しています。これで、創価学会は日顕から解放され、存分に世界への広宣流布を展開することができるようになりました。創価学会が設立当初から宗門とは別の宗教法人であったことには深慮(しんりょ)があったものと思われます。

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